子どもが、自分の望むことを達成できないから怒るのではないですか。 そして、その望みの基準は、自分基準じゃないですか。 自分基準で望むのを諦めれば、心穏やかになれますよ。
1 私の望みは、自分基準でした。
親が子に望むことはたくさんあります。
でも、子どもに望む内容は、いい子に育ってほしい。
社会に出るまでに、これだけは。
今の年齢では、これくらいを。
その望みが達成されないために怒ってばかりでした。
成績が、行動が、まったく達成できていない。
だから何とかしようと強く言うようになる。
でも、この望みが、自分基準であったと。
成績は、そこそこでもいい。でも、社会の人間として、こうあってほしいと。
2 自分基準は、勝手なもの
子どもにすれば、なぜ「○○しなさい」というの?
つまり、理解できない。
なぜか
子ども基準でないから。
「子ども基準」は、
その時代背景、子どもを置かれている環境、友人、家族、世界の動き等々
『私の置かれていた環境とは異なる』ということ。
今の子どもの環境が、どうなのか?
それがわからず、言いたい放題の親だったと。
たとえば携帯電はあったか、スマホはあったか、インターネットはどこまで普及していたか?
子どもたちの時代と私の経験した時代とは、明らかに異なる。
そして、子どもが成長するごとに変わる。
その変化を理解して子どもと接しているか?
理解せず、自分基準を押し付けていないか?
3 自分も学ばなければ、その言動は子どもに通じない
時代背景が異なるのに、通じるはずがない。
そのためには自分も学ばなければ。
学びは学校の勉強では教えてくれない。
常にあらゆるジャンルから学ぶことが必要だと痛感する。
それは、子どもの学校での学びもしかり。
マンガやアニメ、小説、SNS,You Tube、テレビなど、
分野、ジャンル、媒体をとわない。
子ども以上に広く、多くを学ばなければ、子どもについていけなくなる。
時代についていけないから「勉強しなさい」の一言で、
子どもを抑え込もうとする。
抑え込めないから、そのジレンマで『怒り』が生まれ、怒る行動になる
4 いずれ、怒っても聞いてくれない時期を迎える
それが、小学校、中学校・・・どこかで
子どもは、聞くふりをして、右から左に受け流す。
それが続くと、それで事が収まることを経験し、
今後は「怒っても無視される」ということになる。
そうなってからでは遅い。
5 怒るのは、本当に「だめ」な時に限る
人を傷つける
社会に適応できない行動をする
真にだめなときにだけ『怒る』という行動をとる。
本当にだめなときを見極めるには、学ばなければ、選択する力もできない。
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