18歳から成人とする社会になって、デートを知らずに大人になる青年。
時間的、経済的に余裕がないのか? 意欲が薄れているのか? それとも・・・
生命の基本『異性を意識する』
だれしも異性を意識する気持ちは持ち合わせているはず。
しかし、行動ができない。なぜ?!!
幼児期から成長する過程で、自分と違う異性を認識して意識する行動をとり始める。
自由を制約
しかし、その行動に社会全体で制約をかける。自由がない!
『異性を意識する』ことさえ押し殺さないといけない。
でないとハラスメントが怖い!
声がかけられない。
子どもが泣いていて声をかけると『危ない人』なんて。
『自由』は勝手な行動とは違う
家庭で、あれはダメ、これをしてはいけません。
学校で、これはダメ、そんなことは校則違反です。
これが延々と続けられ、摺り込まれ。
ある意味『自由が奪われた世界』
『自由な行動』は、失敗のためにある。
大人が子供の失敗を恐れて子ともを過度に制約する。
失敗をしない為の行動が染みつき、冒険をしない、挑戦をしない。
そして、少し失敗をすると批判され、時には社会から葬られることもある。
『批判する自由』が幅を利かせている社会。
『デート』にこぎつけない社会
デートができるまでには、何度もアタックして、失敗し、さらに挑戦する。
失敗の数だけ経験を積み、学びを得る。
しかし、失敗は社会の悪のように批判する世の中。
デートひとつも望めない社会。
アニメ『デート・ア・ライブ』に何を求める?
経験の乏しい少年と、社会を知らない少女、そんな少女を批判する社会、そんな青年を導こうとする組織。
そこには、人間の本質、人間としての心のあり方を少年から学び、少女が成長できる社会の実現。
『デート』は、失敗を経験し、失敗を恐れず再挑戦する。
そして人の心を学ぶ場。
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