イジメは、自分に自信が無いから、他人を谷底に落とし、自分の地位が優位な立場に立ってやろう(と、むりやり捻じ曲げてやろう)とする現れです。
人は、自分がまわりの人より劣ると感じると、何とかして、優位な立場に立ちたいと思いますよね‼️(みんなにある競争心理)
みんな何とかして、同じになろう、それ以上になろうと、いろいろ考え、実行しようとする。
それで、少しでも上にあがり、回りに認められれば、満足します
特に、まわりに認められ、誉められると、達成感を得られ満足します。
それが、いくらやっても、親や先生、まわりのだれからも認めてもらえない‼️ 特に、親から認められず、もっとやれ❗ 何で出来ないの‼️ などと、追いたてると、子どもは達成感も得られず。閉塞感から、どこかへ生きる道を求めます。
そこで、弱い子、反撃しない子に、はけ口を求めます。
さらに、一人では出来ないから、共鳴する仲間を巻き添えにして、集団のイジメが始まります。
学校の先生が、一人の先生を集団でイジメ、快感を得ていた話は有名です。
彼らは、一人では怖くて何もできない。 うさばらしを、生徒にむけてはいけない。
だから、仲間を集めて集団で、一人一人を攻撃して、日ごろのうさを晴らしていたのです。
これも、日頃のまわりからのプレッシャーに、なすすべなく⁉️ 一人では出来ないので、仲間を集めて、ストレスを解消していたのです。
そして若の人生経験の少ない少年たちは、これらがエスカレートして、集団心理から、歯止めがかからず、自殺に至らしめたり‼️ 集団によるリンチ殺人に至る場合もあります。
このようなことは、学校、習い事の集団活動、兄弟の中でも起こります。
常に、「お兄ちゃん・お姉ちゃんだから・・・」と言われ続けると、「いつも弟・妹ばかり・・」「なんで、おまえばっかり、ちやほやされるの?」
「私は阻害されている。その原因は、お前がいるからだ」という心が芽生え、親の見ていないところで、自分より弱い、弟・妹に、いじわるを始める。
たとえば、親に見えないように足をつねったり。
それで不満を解消しようとする。 しかし、満足は得られない。悪いことをしていることを分かっているから。
自分の子に、こんなことを望んで、子供を叱るわけでないのは、当然です。
親としては当然、立派な子、人の痛みがわかる子、社会に認められる子にしようと、頑張っているのです。
しかし、力の入りすぎ、子供が言葉をうまくしゃべりだすと、親は、子供が親と同じ土俵に(対等な立場に)立ったと一時的に錯覚し、子供の少しの頑張りが見えず、大きな声で・きつい言葉で、怒るようになるのです。
ただし、生命・身体に関わる過ちは、怒る必要があります。
子供は、こどもです。まだまだ未熟で、経験も浅い中で行動しているのです。
親は、常に子の上に立ち、余裕を持た行動をしなければなりません。
余裕がないと、子のちょっとしたことにイライラし、怒ってしまうのです。
子供を、常に怒るのは、イジメと同じです。 常にストレスを感じると、子供は委縮し、成長を止めます。 親が常に怒るのは、一時的「うさばらし」と化します。
我が子が乳児期のころを思い出してください。
子が成長するとともに、物をつかめるようになり、言葉にならない言葉を発、寝返りをうち、ハイハイをし・・・と。
このころ、みなささんは、大人だったら当然の、子のちょっとしたしぐさ・成長に、一喜一憂していたのではないですか。
その時、あなたは子より上に立って見ていたのです。
子育ては「誉めて伸ばせ」というのは、誉めて、~あまやかせ~ と言うことではありません‼️
子供の小さな努力と、小さな成長を見逃さず‼️ 認めてあげる💓
ダメなことをしたら、”ダメ”の理由を理解するよう「さとす」💓
そこから、子も心に余裕ができ、親の言葉をきちんと理解できる。
お互いに、余裕が必要です。
これには、親の忍耐・精神力も必要です。
「子どもは、親の背中を見て育つ」「カエルの子はカエル」です。
どこまでいっても、子供はコドモです。
~ 子の成長と共に、親も常に成長を ~
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